昨日死んだ

コミュ障なので面白いことが言えない根暗なブログ

旧型人間が考える世の中の変化と不安

 

 生きてて、世の中どうなっていくのか

自分はどうしていくのかってことを

あたしはずっと考えている。

 

結構妙齢なのだけど、ケータイやネット

スマホが登場してから10年以上は経っている。

 

世の中には情報が氾濫。

もうすごいよね、すごい量よね。

そういう情報の海に飲まれながら

なんていうか情報とかスマホとかのネイティブな世代の子って

どう感じているのだろうか。

生まれた時からネットとスマホがあって、

どんな情報も大抵手に入って、怒涛の如く流れてくる

情報から必要な物を選択して、それをツールとして

新しいコミュニケーションを創る。

そういうことを平然やれるマルチタスク的な能力に驚いちゃうんだよね。

 

最初twitterを何ともなしに始めて、たくさんフォローしたり

されたりするとさ、もうタイムラインが滅茶苦茶なのね

自分の好きな分野ごとにアカウント持つのが一番なんだろうけど

そんなのわかんないからさ、タイムライン滅茶苦茶なのよ。

掃除が出来ないあたしの雑然とした部屋以上にカオスなのよね。

 

はてブロのTOPページいくと面白い記事たくさん並んでるし

スマホには四六時中面白いニュース流れて来るし

なんていうかもう

頭おかしくなりそうなのね。

必要なことだけ抽出して生きていければいいのに

判断力がないから迷ってしまう

選択肢がありすぎるってことから生み出される

逆に不自由っていう現象。

 

後から生まれてくる世代はもうこれが当たり前だし

あたしはもっとすれば死ぬだけだからいいんだけど

すごいな、気後れする。気後れっていうか畏縮っていうか

世の中の大半がそうして見えないほどのスピードと

判断で回ってる事実にめまいがしたり

疲れてしまうことがよくある。

ついていけなくて。

 

老人もこんな気分なんだろうかと

最近よく思う。

 

大きく変化していく世の中と対応

あたしには友達がいないので、他人がどう考えているのか

わからない。

みんな平気なのか、せかせかしてると思ってるのか

不安じゃないのかなって考える

 

だって10年以上前とコミュニケーション大きく変わってしまったから。

勿論自分が便利で使いこなせる程度で使いこなしていけばいいんだけど

もうタイムラインとかニュースとか広告とか

目がチカチカするくらい情報詰まってる。

明治維新とかもこんな感じだったのかななんて事を考える。

だって今まで侍とか帯刀とか当たり前だったのにさ

イキナリ命より大事な刀は所持禁止とか言われたら

もうどうしていいかわかんないじゃない。

 

本来遠くの人とコミュニケーションをとるツール

だったケータイを今、目の前にいる人を無視して

皆いじってるけど、それってなんか本末転倒だよな

って思ったりする。

コミュニケーションツールなのに

目の前の人を大事にできなくなったら何の為に

その時間割いて一緒にいるかわかんなくならないのかなって。

仲良くて会話がないとしても、なんというか

そういう姿勢でいいのか?と思うのだ。

心が遠いところにあるというか

自分の中に籠ってしまっているというか

必要な時だけ友達ごっこ、恋人ごっこしてるとしたら

余りに自己中だ。

電車とかでよくある光景の一つに、悲しいような気が

いつもする。

 

これもネイティブ世代じゃないから違和感を覚えている

だけで、かき消されていく。

それが主流だから、常識も、倫理も、塗り替えられていく。

誰かが画期的な問題提起をしない限り。

それを寂しく思うのも旧式な人間だからなのかもしれない。

 

そんなことをチカチカした画面を見ながら

電車での日常の光景を見ながらいつも考えている。

別にそれがあたしの人生を左右する身に差し迫った

避けがたい決定的な失敗の一因になるとかそういう

大仰な事ではないのだけれど

そういう互いの無関心さはじわじわと

あたしに不安な種を与えているような気がするのだ。

世の中がどんどん変化して、それに対応していけないという

不安を。

足元が揺れるような不安

そういう自分が信じていたとか当たり前に思っていた

常識が根底から覆るような不安とか不安定感

どう受け入れて対応して生きていくのか

よく考えるのだ。

 

大きな変化に人は保守的になる

最近時事的な動向でいえばここ数十年で

保守と呼ばれる、或いは右翼と呼ばれる人たちの

活動が活発化した。

メディアの唐突な韓流押しやら、中国の巨大化やら

北朝鮮の挑発やら

人々が気軽に、あるいは匿名でも声を出せる環境が

あるし、当然と言っていいほど

大きな変化は人を保守的にさせる。

例えば3.11でも、日本人は目の当たりにした。

日常が簡単に崩れる瞬間を。

不安になるから安定した価値観を大切に

するんじゃないだろうか。

それと同じでこれからの時代、いや以前も

そうだったように、安定したものを持たない者は

きっと安定するような価値観や精神的主柱を

必要とする、欲する時代なのだろう。

もしかしたら歴史がそうだったように

日本人でも宗教とか信仰が増えるかもしれない。

不安定な世の中生きる為には自分なりの

精神的主柱とか軸が必要だ。

今のあたしにも。それを探している。